温泉の元 火山の噴煙観光地シリーズ 群馬県 草津温泉
 草津湯畑   地図


 草津温泉は日本を代表する温泉で、湯畑源泉から自然に湧出する温泉はなんと毎分32300リットルもの湧出量を誇るpH2.0の酸性湯。「恋の病」以外はあらゆる病気も治るとされ「(草津温泉に入って)死んでもいいから草津に行け」と昔から言われて来た名湯で、ヨーロッパにはほとんどない世界に誇れる酸性湯である。
 草津の名の由来は「くさうず(臭水)」がなまった言葉であるとされる。
 湯畑源泉は高温で湧出する湯に「水」を加えて冷ますのではなく、温泉中心部にある「湯畑」と呼ばれる外気によって冷ます自然冷却方式を採用している。
 湧き出た湯を高低差を使い7本の木樋に通して、外気によってほどよく冷まし、木樋に湯の花が付着することにより宿に供給するパイプが湯の花で詰まりにくくし、湯畑の最後にある湯滝を流れ落ちると、源泉53.9℃の湯も48℃前後まで下がるらしい。そして、パイプを通じて共同浴場や旅館に運ばれた頃には43℃前後の適温になると言う方式だ。
 他の源泉でもほとんどが湯畑源泉のように熱交換式で湯温をある程度下げる自然冷却式が採用され、源泉への加水を最小限に押さえ、源泉の効能を極力薄めない工夫がされている。
 その為、四万温泉のように湯温を下げるのに大量の水を加えないので、有効な温泉濃度が薄まることなく利用できるので高い効能が維持されているのである。
 草津は歴史があり、語るには奥が深い。一部ではあるが下記にご紹介する。

草津温泉の歴史

 古くは日本武尊が草津で温泉を発見したと伝わるが、これは恐らく伝説にすぎないであろう。次には奈良時代に大和国菅原寺の僧「行基」が草津で温泉を発見したと言われる。
 この行基(668年〜749年)は貧民救済や治水、架橋などの社会事業に生涯を尽くした人物で、現代に置き換えると大建設会社の社長とも言え、畿内で49寺院を建てたり、溜池や橋を作ったり、9箇所に宿泊施設を作ったりしている。その他にも日本各地で温泉を発見した人物とされており、鷹ノ湯・作並・東山・芦ノ牧・藪塚・湯河原・渋・湯田中・野沢・栃尾又・山城・山中・深谷・吉奈・谷津・蓮台寺・三谷・湯ケ野・有馬・木津・関金・塩江・雲仙の全国各地の温泉にも行基発見と言う言葉が見受けられる。
 そんな中、草津温泉は721年に行基が薬師堂(現在の草津山光泉寺内)を開基した為、草津温泉発見者とされているのである。
 実際のところは古くより狩人や山師などにより草津で温泉が湧出しているのが発見され、地元に伝わり、川などで温泉に浸かる者もいただろう。
 その後、古文書「吾妻鑑」によると1193年8月に鎌倉幕府を開いた源頼朝が浅間山で巻狩りを行った際に、木曽義仲の遺臣で義仲遺児を匿って草津に潜んでいた細野氏(御殿の助)が草津温泉に案内したとされ、湯本の姓を与えて草津の地頭になったとある。その際に源頼朝が発見した湯でもあり、入浴した言われるのが白旗の湯である。
 その後、湯治場として整備されたものと考えられ、室町時代以降は多くの著名人も訪れた記録が残っている。
 温泉街の中心、湯畑の西には馬を入湯させるための「馬の湯」もあったという。当時は基本的に宿にある内湯は存在せず、外にある共同浴場で入浴した。冬場は積雪などの為、温泉地は閉鎖され宿主も冬には全国を周り草津温泉を宣伝し歩いたと言う。
 1490年には越後の長尾為景が草津を訪れている。
 武田信玄の家臣・真田幸隆が沼田に進出すると草津も真田氏の統治となり「湯銭」と言う温泉税を掛けていた。武田滅亡時の1582年3月には織田家臣の丹羽長秀、堀秀政、多賀新左衛門らが草津温泉に入っている。
 そんな草津温泉には1587年、豊臣秀吉の妹で徳川家康の正室になっていた朝日姫が訪問。この時、朝日姫は病気だったと考えられ、療養の為草津の湯に入ったようだ。
 1588年9月には豊臣秀次も訪れているがこれは温泉旅行。1595年には豊臣秀吉も草津を訪れる為、道中の宿割などすべて手配も完了していたが、直前で中止になった。
 ハンセン病患者でもあった名将・大谷吉継は、病気回復のため1594年に湯治。直江兼続に宛てた書状に「草津の湯は眼に効いた」と書いている。その後、1600年の関が原で敗退し42歳で自決している。
 前田利家は死の1年前、1598年4月から5月にかけて前田家一族を引き連れ、大掛かりな湯治をしている。前田利家の湯治中、徳川家康や浅野長政、堀秀治などが衣服や布団などの見舞品を草津に送っている。
 ただ、上野や信濃には反徳川派が多かったので、徳川家の家臣や徳川家康は草津を訪れた記録がない。
 温泉の酸性成分により刀は錆びるので、大名と言えども刀を番所に預けたと言う。
 江戸初期に真田氏が改易されると草津は幕府の直轄領になり代官が置かれた。湯屋は約60軒あり、一大温泉地になった。なお、湯銭は廃止され、湯治客はどこの外湯に何回入っても、湯銭(入浴料)が無料となり、宿に泊まる費用だけで湯治ができるようになった。
 明治の頃、草津の旅館は一等、二等、三等、四等、五等とランク付けされていたようだ。
 草津温泉の一等旅館は、望雲館、一井、日新館、大東館、長善館、山本館の6つ。望雲館は今のホテル望雲、長善館は大坂屋。一井、日新館、大東館、山本館は今も同じ名で残っている。
 二等旅館は福栄館、昇英館、松盛館の3つだったが、今は1つも残っていない。
 三等以下は民屋、松の屋、七ツ星、林屋、松村屋、山幸、穀屋、旭屋、月の井館、一田屋、万屋、改良館、郭公館、大津屋、対瀧舎、山木屋、新納屋、綿屋、遠州屋とあって、今も残っているのは、松村屋、山幸、一田屋、大津屋、遠州屋。
 1904年の草津温泉は、宿屋40軒、料理屋8軒、食堂4軒、酒屋5軒、肉屋2軒、八百屋4軒、菓子屋3軒、雑貨屋7軒、湯の花の販売店2軒、貸本屋1軒、写真屋1軒、理髪屋4軒、医院3軒、運送業2軒、その他の商店が32軒あった。
 1970年、硫黄鉱山より大量の温泉が湧出。この温泉湧出により硫黄鉱山は使えなくなり閉鎖され、のちにその温泉(万代鉱源泉)を新しく出来た宿泊施設などに供給開始した。
 現在、草津には6つの源泉があるが、泉質に大きな違いはないので、泉質で訪問先を選ぶ必要性は必ずしもない。地元で体に良いと評判なのは、白旗源泉、地蔵源泉、煮川源泉の3つ。

湯治の様子

 現在は温泉旅館に泊まると、夕食が出て、布団が引かれて、朝も朝食が出されると至れり尽くせりだが、昔の湯治は違う。
 湯屋(温泉宿)は部屋を客に貸すだけで布団すら提供されない。なお、部屋も多くは相部屋となり、宿は客の世話をしない。
 昔の江戸っ子は、草津に1ヶ月間逗留するぞと決めると、長屋(自宅)の家財道具をすべて「質」に入れた。旅行費用を捻出するだけでなく、不在中に家財道具を盗難などから守る役割も得られたようだ。
 そして、得た現金を切手(現在の小切手)に換えて、大変身軽な格好で旅先の両替屋で現金に換えながら旅をした。
 草津温泉の宿に到着すると、番頭が「通い帳」を持って来る。客は滞在中に必要なもの、例えば布団、着物、鍋釜、食器、燃料(薪炭)、米、味噌、火鉢、たんすなど、紙に書いて渡すと、費用が計算されて代金が提示される。交渉が成立すると、客が外湯でひと風呂浴びている間に、業者により必要なもの全てが湯屋に届けられると言う仕組み。要するに、宿泊に必要な品物は現地でレンタルしたのだ。
 食材などの食べ物は、毎日湯屋の部屋に売りに来てくれる。お金持ちの場合、湯屋専属の料理人や身の回りの世話をする女中を雇うこともできた。
 なお、湯治客は湯屋が決まると、現住所や宗旨(檀那寺)を明示し、万が一「死亡の場合には当地で埋葬してかまわない」という誓約書を書かされた。湯治場に来る客は当然ながら衰弱した病人も多かったのである。
 なお、草津の湯(熱の湯)はどこの温泉よりも湯が熱く、50〜54℃の湯に日に5回3分間づつ浸かるのを通例としていたそうなので、大変過酷な入浴法だったとも言える。
 裕福な商人や上級武士は、貸切料金を支払い大滝乃湯の一部を貸切る「幕湯」「囲い湯」などが贅沢とされていた。なかには湯屋の同室に同宿した湯治客が、お金を出し合い貸切すると言う事もあったらしい。

草津温泉の言い伝え

 草津の湯はpH1.6〜2.3の強酸性の為、1円玉を源泉に浸しておくと、溶けて1週間で無くなってしまう。
 ケガをしても酸性の温泉水を掛ければ消毒になるので、地元の人は市販の消毒液を買ったことがない。大腸菌でも5分〜10分程で全滅する殺菌能力を持つ温泉なのだ。ちなみに人間の胃液は塩酸に似ておりpH1.0〜2.5程度と言われている。
 草津温泉は眼病にも効くらしく、草津にある病院・医院に眼科は無い。特に結膜炎やトラコーマに効く。(地蔵源泉の湯は湯気を目に当てるだけで効果があると言われている。)
 歯のエナメル質が溶け出すのはpH5.6。その為、草津に住む人々は歯を悪くする住民が多い。ちなみに日本の水道水は中性のpH7.0、人間の唾液pHは5.5〜8.0の範囲。唾液がたまるとアルカリ性になり虫歯になるのを防ぐ。デンタルガムは酸性に傾いている唾液をアルカリ性に変える働きを促進させてくれる。
 日産スカイラインの名称も草津温泉にゆかりがある。スカイラインの初代モデルから7開発に携わった桜井真一郎氏が1955年3月21日に、草津でスキーをする為に立ち寄った「芳ヶ平ヒュッテ」から見えた山の稜線が、とてもきれいだったことから、空を背景にした稜線を意味する“スカイライン”の名が浮かんだとのこと。
 湯畑の「歩道といこいの場」をデザインをしたのは岡本太郎。
 草津温泉の廃湯は一箇所に集められて石灰ミルクを投入し酸性湯を中和。一部は冬季の道路融雪温水に使用され、湯川に注がれている。

温泉ソムリエとして酸性湯入浴のコツ

 草津温泉は熱めなので、熱くて入れない時は、掛け湯を何回もたくさんすると入りやすくなる。場合によっては頭から掛け湯をしても良い。
 逆にのぼせた場合は、頭に冷水を掛けたり、冷たい水のタオルで頭を冷やすと良い。
 もちろん入浴前と入浴後の水分補給は忘れずに。
 肩こりには、温泉を桶に汲んでタオルを浸し、温泉で熱いタオルを肩に掛ける。冷めたら、また熱いタオルを肩に掛ける。肩が暖かくなるまで繰り返すと、肩の血行が良くなる。
 草津温泉はph1.6〜2.3と強い酸性湯だ。酸性湯入浴時の最大の注意は長湯をしないこと。肌荒れが心配な方は、最初は3分間「足」だけを入浴させる足湯をする。足は最も肌が強い。そして、湯上り後(肌が完全に乾燥したあと)に自分の足の状態を確認して、湯が自分にあっているか確認する。肌がすごく赤くなっていると、その後の入浴は長湯は禁物。長湯してしまうとひどい場合には皮膚がはがれてしまう場合もある。
 肌が弱い方は、体は洗わないで皮膚の角質を残すようにし、湯上がり時にシャワーを皮膚という皮膚すべてに掛けて、温泉成分を落とすと良い。ちなみに草津温泉で最も肌に刺激があるのは万代鉱源泉の湯。
 酸性湯の場合、体は洗わなくても皮膚は殺菌されており、極端な話、頭の髪の毛もシャンプーではなく温泉を何回か頭に掛けるだけでキレイになる。
 なお、草津温泉に浸かった後、石鹸で体を洗おうとしても酸性成分により、泡が立ちにくい。泡がないと石鹸による除菌効果はないので、石鹸類を使う場合は洗い場に用意されている中性の石鹸を使用すると良い。
 酸性湯は特に小さなお子様や幼児には注意が必要。酸性の温泉は皮膚病(アトピーなど)には最適な温泉なので、肌が弱い子供を入浴させないと言うよりは、是非とも入浴させるべきなのが酸性湯でもある。温泉の特徴をよく把握して正しく入浴させて欲しい。
 絶対に温泉を口に含まない(飲まない)。歯のエナメル質が溶け出すのはpH5.6より数字が低い酸性の時。中にはひ素が含まれている源泉もあるので、草津温泉は飲んではいけない。
 目に温泉が入った場合も目薬をするなど目を強い酸性から守ろう。
 肌荒れしてしまった場合は、温泉を桶に汲んでタオルを浸し、そのタオルを湿布かわりに使い、患部を覆うと良い。絶対にこすったり、かいたりしないこと。 

お勧めの観光とお土産

 草津温泉街での観光と言えば「湯畑」と「西の河原」。いずれも徒歩で行けるので便利だ。
 お土産と言えば湯の花もあるが、小生は「草津温泉ハップ」をお勧めする。
 草津温泉ハップは駿河屋旅館の別会社が製造する入浴剤で、白骨温泉公共野天風呂が温泉偽装をしていた際の入浴剤がこの草津ハップであった。
 昭和20年(1945年)から発売されている歴史ある入浴剤である。
 草津ハップの投入量は180リットルに対して20ml〜30mlなので、500mlの草津ハップで約20回の入浴が可能。
 原液は赤紫色だが、お湯に投入すると透明な湯が黄色から緑色に変色し、完全に混ざると緑がかった乳白色の湯となる。透明度は3〜5cmになるので、実際の草津温泉より濃く白濁する。しかしpHは酸性ではなく強アルカリ性。
 効能は神経痛、腰痛、リウマチ、ひえ症、痔、水虫、汗疹、いんきん、うちみ、たむし、湿疹、しもやけ、ただれ。
 硫黄成分がある為、使用できない浴槽の場合、バケツにお湯を入れて「足湯」にするだけでも効果有。またはタオルに浸して体を拭いたり、皮膚病には患部を直接浸すだけでも大変効果があるので、お試しあれ。

詳細アクセス

 草津温泉バスターミナルからは徒歩約5分。
 車の場合、地図にした湯畑の近くに町営駐車場があり、2時間まで\520で駐車可能。(2時間以上は駐車不可) 駐車場が混雑する週末などは草津中央駐車場を最初から狙うと良い。



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