温泉の元 火山の噴煙観光地シリーズ 長野県 野沢温泉
 野沢温泉 麻釜   地図

野沢温泉の麻釜

 噴煙を上げている訳ではないが、野沢温泉のシンボルとも言える「麻釜」をご紹介する。
 麻釜と書いて「おがま」と呼ぶ。
 野沢温泉にある源泉は約30箇所。すべて自然湧出で、新しい源泉は採掘できないことになっている。
 太古の昔より湧出する源泉で、お風呂に入浴する以外にも地元住民が源泉を使用しているのが、麻釜源泉。大釜、茹釜、丸釜(円釜)、竹伸釜、下釜とそれぞれ源泉が自然湧出しており、大きな温泉の湯だまりとなっている。
 古くは釜潭(熱湯のたぎるふち)と呼ばれた弱アルカリ性の硫黄泉である。
 湧出温度が高い為、入浴には適さないが、現在は野沢菜や野菜類を洗ったり、卵をゆでたりするのに地元住民の方が使用している自然の茹で釜として利用されており、住民が交代で清掃・管理されている。
 江戸時代には、伐り取った麻(あさ・お)をこの湯だまりにひたし、後で皮をむいたことから。麻釜と言う漢字が当てはめられている。現在は麻より、北信州特産のあけびづる細工に用いるあけびづるを釜にひたす光景が見られる。堅い皮も、簡単に剥けるようになるらしい。
 水温は100℃近く、慣れていない方は、火傷の恐れがあり大変危険なので、住民以外は立入禁止となっているが、観光名所として見学ができるように整備されており、観光客が絶えない。
 付近の土産店では麻釜で茹でたとうもろこしやゆで卵も販売されているが、自分もゆで卵やとうもろこしを茹でたいと言う場合は、近くにある「湯らり」に無料の足湯だけでなく、無料の温泉湯釜が観光客に開放されている。冷やす為の水道も完備。
 麻釜脇には中山晋平作曲・時雨音羽作詞の新民謡「野沢温泉小唄」の歌碑がある。
 また、外湯「麻釜湯(あさかまゆ)」で、この麻釜の温泉に入浴もできる。

 大釜は、約90℃の源泉が2箇所から湧出している。高温のため茹物に適し、山菜、野菜など茹でるのに使用。
 茹釜は、約90℃の源泉が2箇所湧出。山菜・野菜などを茹でるのに使用。
 円釜はかつて円形だった為、この名がついているが現在は方形。源泉温度は約71度で、工芸品の材料である根曲竹やあけび蔓柳条を浸し、養蚕の盛ん な時には蚕具の消毒にも使用されていた。
 竹伸釜は、麻釜の東側にある大石下から湧出し、源泉温度は約80℃。円釜と同様に利用されている。
 下釜は、一番南側に一列になっている。硫化水素ガスが多く含まれている。源泉温度は約85℃。
 
野沢温泉の歴史

 野沢温泉は誰が発見したのか?
  聖武天皇の頃(724〜748年)の奈良時代に、この地を訪れた名僧・行基が発見したいう説
  修行中の山伏が見つけたという説
  手負の熊の後をつけた猟師が見つけたという説
 があるが、どれもこれも、どこの温泉場にもあるような話であり、小生は昔から湧出する温泉は、古代人が既に発見していたと信じている。
 なにしろ、山の中に湯気が出ていれば、猟などで出かけた人は「なんだろう?」と、絶対に見に行きたくなるはずだからだ。
 要するに、近辺に人間が住み始めた頃から、野沢温泉は知られていたはずである。
 その後、文献に見られる記録では、鎌倉時代中期の文永9年(1272年)が最初で「湯山村」と記載されており、犬養御湯として、名取御湯、信濃御湯とともに三御湯と呼ばれた。
 江戸時代初期には24軒の宿屋があったとされており、1640年頃には、飯山藩4万石の藩主・松平忠倶が野沢の浴場や宿を湯治場として整備し、 北信濃や越後の一般人が冬の農閑期に湯治に訪れた。
 明治3〜5年には24863人の湯治客が訪れたと言う記録が残されている。

 また、日本有数のスキー場、野沢菜発祥の地としても有名である。

 

 ※写真は万座観光協会様より拝借いたしております。



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